坊がつる讃歌の知られざる誕生秘話!芹洋子の名曲と九重連山の絆
坊 が つる 讃歌――朝靄が静かに晴れゆく山肌に響き渡る澄んだメロディは、昭和から令和の今日に至るまで、世代を超えて日本人の胸を打ち続けている。広大な湿原の情景と青春の切なさを歌い上げたこの楽曲は、単なるご当地ソングの枠組みを遥かに越え、日本の叙情詩として今も燦然と輝く。
風が湿原のススキを揺らす音に耳を傾けていると、かつて坊 が つる 讃歌が巻き起こした熱狂と、そこに宿る純粋な祈りが鮮やかに蘇ってくる。山小屋の薄明かりの中で仲間と肩を組み、声を合わせて歌い継がれてきた旋律は、いかにして全国を席巻する名曲となったのか。その歩みを紐解くと、奇跡のような偶然と人間の温かな情熱の交錯が見えてくる。
名曲「坊がつる讃歌」誕生の知られざる秘話:九重連山に刻まれた若き日の記憶
荒涼としながらもどこか母性的な温もりをたたえる、大分県のくじゅう連山(九重山系)。その中央部にぽっかりと広がる湿原「坊ガツル」こそが、すべての発端だった。昭和27年(1952年)の夏、登山道整備に汗を流していた若者たちのテントから、夜ごと素朴な歌声が漏れ聞こえていたという。
厳しい自然と対峙しながら、仲間とともに山を愛した若者たち。焚き火の爆ぜる音と満天の星の下で口ずさまれた即興のフレーズが、やがて確かな輪郭を持ち始めた。過酷な登攀の合間に見出した大自然への畏怖と、友と過ごすかけがえのない時間。その純度の高い感情が、誰に聴かせるためでもなく、ただ自らの魂を慰めるために言葉へと紡がれていったのである。
九州大学山岳部の松本征夫が紡いだ詩情と山岳歌(山歌)の伝統
この詩を生み落とした中心人物が、当時九州大学山岳部に所属していた松本征夫氏である。松本氏は山岳部員とともに過ごした坊ガツルでの濃密な日々を、哀愁に満ちた五七調の言葉に託した。メロディの土台となったのは、戦前より広く親しまれていた軍歌「広瀬中佐」や旧制高校の寮歌の節回しであったとされる。
日本の山岳歌(山歌)には、厳しい登攀を耐え抜く精神性と、自然の懐に抱かれる歓喜が同居する独特の文化がある。松本氏が紡いだ歌詞は、まさにその真髄を突いていた。深山に咲くリンドウ、霧に煙るミヤマキリシマ、冷涼な夜風。登山者なら誰もが五感で覚えている風景が、無駄のない言葉で刻み込まれたことで、この歌は九大山岳部から山仲間へ、そして九州中の登山愛好者へと静かに口伝えで広まっていった。
芹洋子の澄んだ歌声が起こした社会現象とフォークソングの時代
アングラな山小屋文化にとどまっていた歌が、表舞台へと躍り出た契機は1970年代後半の出会いにある。透明感あふれる歌声で国民的な人気を博していた歌手・芹洋子の存在だ。美しい日本語と日本の原風景を歌い続けていた彼女がこの曲に出会った瞬間、単なる愛好家の歌は普遍的なポップスとしての命を得た。
折しも日本は叙情的なフォークソングの黄金期を迎えていた。都会の喧騒に疲弊した人々が自然への回帰や素朴な優しさを求めていた時代背景と、芹洋子の凛としたボーカルが劇的な化学反応を引き起こす。哀愁を帯びつつもどこか凛とした佇まいを持つ彼女の歌唱は、登山愛好家のみならず、山を知らない全国のリスナーの琴線をも激しく揺さぶった。
NHK「みんなのうた」から第31回NHK紅白歌合戦へ駆け抜けた軌跡
決定打となったのは、1978年にNHK(日本放送協会)の長寿番組「みんなのうた」で放送されたことだった。切り絵作家の手による情緒豊かなアニメーションとともに茶の間に届けられたメロディは、瞬く間に全国的な大ヒットを記録する。リクエストは殺到し、レコード売り上げはミリオンセラーに迫る勢いを見せた。
その熱狂は止まることを知らず、1980年の暮れ、芹洋子はこの曲を携えて第31回NHK紅白歌合戦のステージに立った。大舞台で高らかに響き渡った九重の自然の調べは、当時の音楽産業における特筆すべき快挙となり、地方の山小屋から生まれた歌が国民的アンセムへと昇華した歴史的瞬間として記録されている。
大分県竹田市の湿原「坊ガツル」が今も登山者を魅了し続ける理由
歌の舞台となった大分県竹田市に位置する坊ガツルは、標高約1,200メートルに位置する日本有数の高層湿原だ。ラムサール条約登録湿地としても世界的に認められたこの場所には、現在も歌碑がひっそりと佇み、訪れるハイカーたちを温かく迎えている。
周囲を取り囲む大船山や三俣山の雄大なパノラマ、四季折々に表情を変える湿原の色彩。近年ではテント泊の聖地としても国内外から注目を集めている。春のピンクに染まるミヤマキリシマ、秋の黄金色のススキ原を歩く登山者たちは、今もふとした瞬間にこの歌を口ずさむ。歌と風景がこれほど分かちがたく結びついた場所は、全国的にも極めて珍しい。
音楽産業とデジタル配信の現在:NHKプラスで再評価されるマスターピース
現在、音楽の消費スタイルがストリーミングやデジタルプラットフォーム中心へと移行する中で、過去の名曲の再評価が急速に進んでいる。NHKプラスなどの配信アーカイブやSNSのショート動画を通じて、若い世代がこの昭和の叙情歌に触れ、「エモーショナルで心が洗われる」と新たな感動を表明するケースが後を絶たない。
物質的な豊かさの中で心の安らぎを求める現代人にとって、自然への憧憬と人と人との素朴な絆を歌った世界観は、時代を超えてより一層の輝きを放っている。山と人を結び、世代と時代を繋ぐ架け橋として、この不朽の名作はこれからも日本の空の下で歌い継がれていくに違いない。 (出典: 坊 が つる 讃歌(Yahoo!ニュース))